私はケチなので、まだCanvaの有料会員になっていません。
使いたい画像が有償の場合はあきらめて、イラストAC(これも無料会員)などから、画像を探しています。
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このことについてちょっと仏教的視点から考えてみようと思います。
(とくに有料会員の方を批判する意図はまったくありません。自分の行動について考えてみました。)
「私はケチなので」について
冒頭で そうは言いましたが、私は実際にはそんなにケチではないと思います。自分にとって価値があると思ったものにはお金を出しますし、節約するのは価値あるものにお金を使うためです。
画像編集は楽しく好きな作業ではありますが、いまは私の本分ではないから、なるべくそこにはお金を遣いたくないと思っています。
でもいつか必要に迫られる日がきたら有料会員になるかも知れません。
言葉の定義と、人に与える印象について
倹約とは賢くお金を使うことであり、必要なところにはしっかり使うことです。いっぽうで、ケチとはできるだけお金を使わないことが目的で、必要なところであっても出し惜しみをするのです。
倹約家は先を見据えていたり、自分の本領を理解しており、周りに与える印象も節度があり理性的と思われますが、ケチは目先の損得に捉われがちなので、周りには欲深い、自己中心的などの印象を与えます。
(1)仏教の教えについて
仏教では、苦悩の根元的な悪徳として「貪・瞋・痴」の三毒があると説いています。
・貪(とん)は、欲望や執着が過剰になること。
・瞋(じん)は、怒りや憎しみのこと。
・痴(ち)は、無知であること。
これらは、真理を知らず正しい判断ができない無明の状態を指します。
それに対して仏教には、布施行、持戒行、忍辱行、精進行、禪定行、智慧行の、六波羅蜜という教えもあります。
・布施(ふせ)… 親切
・持戒(じかい)… 言行一致
・忍辱(にんにく)… 忍耐
・精進(しょうじん)… 努力
・禅定(ぜんじょう)… 反省
・智慧(ちえ)… 修養
これらは、善行を積むための手段をコンパクトに6種類に分けた教えです。
(2)倹約は「智慧」、ケチは「執着」
この三毒と、六波羅蜜の思想は、お金の使い方にも例えることができそうな気がしてきました。
ケチを「苦しみの根源」と位置づけると、ケチは「貪」「痴」に通じていると考えられます。
もしかしたら、その心理の奥底にはトラウマ的に「瞋」が潜んでいるのかも知れません。
倹約を「善なる行い」として位置づけるなら、「布施」「智慧」「精進」と考えることができそうです。
倹約かケチか、お金の使い方や考え方って、その人の“生き様”が表れていて、生き方の質・心のあり方の問題としても考察することができて面白いなと思います。
また、「倹約が行き過ぎると、本人が気づかぬうちに“ケチ”になってしまうこともある」という現実的な視点もあります。つまり、倹約のつもりでいても、執着に転じる境界線がどこかにあるのかも知れません。自分に、布施行をする心の余裕があるかどうかを自省する習慣をつけると良さそうですね。
借金と返済について
時には、自分がほしいものを手に入れるために借金をする場合もあります。借金そのものは悪ではないですが、返済ができなくなり四苦八苦する事もあると思います。それを仏教的視点から考えるとどうなるのでしょうか。
貪・瞋・痴に分類してみます。
【貪(とん)】
借金をしてでも欲しいものを次々と手に入れようとするのは、「足るを知る」ことができないむさぼりの心(貪欲)の表れです。
とにかく欲しい!!という感情にブレーキがかけられず、他人の犠牲を気にもせずに物を得ようとする。これは仏教で戒められる「煩悩」そのものですね。
【瞋(じん)】
借金を注意されたり、拒絶されたときに逆ギレしたり、相手を恨むような態度を取る場合は怒り・敵意(瞋)に分類されるでしょう。
【痴(ち)】
「借金は返すもの」「他人に迷惑をかけてはならない」という社会的な規範を理解せず、それに反する行動をするのは、真理や因果の道理を知らぬ「痴(愚かさ)」とみなされます。
※結果として信頼を失い、孤立し、最終的には自ら苦しみを生むでしょうね。
こうした行為をする人は、仏教でよく説かれる「三毒(貪・瞋・痴)」にすべてあてはまっている状態といえます。つまり仏教的にはその人は煩悩にまみれ、苦しみの元を自ら生み出し続けている存在です。
欲を抑え「足るを知る」こと、因果の道理を理解して行動すること、他人への迷惑や心の痛みを想像し、思いやることなどの姿勢が、節度ある生活と心の安定をもたらすと仏教では説いています。
(本当に釈迦がそう言ったかどうかは知りませんが。。。。)
まとめ
「倹約とケチの違いの仏教的視点」
- 倹約とは、無駄を省き、必要なことには使う。智慧と感謝に基づく行動。
- ケチとは、使うべき場面でも出し惜しむ。執着や自己中心的な心のあらわれ。
- 倹約は、「布施(施し)」や「足るを知る」につながる善い行い。
- ケチは、「三毒(貪・瞋・痴)」のうちの「貪(むさぼり)」に通じる煩悩。
「借金と返済についての仏教的視点」
- 借金そのものは中立的な手段。悪ではない。
- 返済しないことは「不誠実」であり、「貪」「痴」に基づく行動。
- 約束を破ることは信頼を損ね、自他に苦しみを生む(因果応報)。
- 借りたものは、返す努力と感謝の心を持つことが大切。
- 仏教では「返そうとする誠意」こそが、人としての徳であり、自身の心の平安につながる。
Canvaを活用させてもらっているのに、有料会員にならない私はケチなのか? また、ケチとは悪なのか? というシンプルな問いが、ふと心に浮かんできて、このような取り留めのない文章になりました。
みなさまは、どう思われますか…?
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